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命ある限り 季刊2003年7月夏号


三月の初め、11年前に
里子に出した犬の里親さんから電話が入りました。
「実は三月末に引っ越すことになり、
犬を連れて行かれない。
どこか預かって下さるところがないでしょうか」と・・・

期限が分かっていれば話もし易いが、
「犬が飼える住宅」に移るまでと、
はっきりとした期限がないのです。
茶色の中型・雑種・メス・11歳、名前は「ガンバ」。

そんな中、ある近所の方から
「困っている犬を引き取りたい」という
この上もないお話が入りました。

飼い主のTさんと新里親のOさんとの話し合いの上、
ガンバは里子に再度出ることになったのです。
しかし、これが悲劇の始まりでした。

Oさんの家に行った六日目、
ガンバはちょっとした玄関の戸が開いたすきに
逃げてしまったのです。
警察、獣医さん、インターネット、張り紙、
ありとあらゆる方法で捜しました。
しかし、全く情報がありませんでした。

3月26日、横浜蓄犬センターに、
Tさん、Oさん、そして私、
三人がそれぞれ届けを出し、
毎日必ず電話を入れ、確認をしていました。
しかし、「いません」と同じ返事が返って来ます。
大雨の日、どこにどうしているのだろうか。
手離したTさんも、
バイクで何度もここ町田の成瀬台に来て捜しました。

しかし皆の心配な気持ちに反して、
10日目の4月2日、
「子供の国線にひかれた犬がいました」との
通報が入りました。

駅員に問うと、「3月24日の夜、
電車に飛び込んだ犬がいて死んだと思ったら、
次の日の朝生きていたので、
横浜蓄犬センターに収容してもらいました」とのこと。
「えっ!横浜蓄犬センター?
毎日電話を入れていた所なのに、
どういう事?!・・・」

4月3日、
Oさんが横浜蓄犬センターに電話を入れたところ、
「ひかれた犬ならいます。
しかし今から来るのでは。
5時までです。明日にして下さい」とのこと。

次の日、4月4日(土)朝まで、
ガンバは、ひかれて何の治療もしてもらえないまま、
食べることも出来ず、
激痛に耐え、11日間生きていたのです。

迎えに来てくれる事がわかったのか、
4日の朝、センターで息を引き取ったのです。

横浜蓄犬センターには写真も送って、
毎日電話も入れていたのに、
この職員(所長)の、仕事に対して、
犬に対しての熱意は全く無く、
謝罪の言葉すらありませんでした。

首輪が取れていたという落ち度があるにせよ、
この日(ガンバが運ばれた日)収容犬は、
たった4匹しかいませんでした。

3匹は飼い主が分かっている犬で、
1匹分からない犬がいるのなら、
「見に来て下さい」とどうして言わなかったのか。
「ガンバ」は、この横浜蓄犬センターのずさんな内情を、
身をもって私達に知らせてくれたのです。

路線を渡れば、
11年間住み慣れた懐かしい
家族のいる家に通じる道路でした。
「命ある限り」元の飼い主さんの所に
戻りたかった一念だったのでしょう。
硬くなってしまった身体になって帰って来たガンバ。
生きているようなお顔でした。
遺骨になってでも帰りたかった家族の元で、
今、ガンバは暮らしています。

安らかに。


[2003/07/12 10:57] | 会報:救いを求める犬猫ニュース | page top
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