SARS、コイヘルペス、
狂牛病、鶏インフルエンザと毎月の様に、 テレビから水死させられるハクビシン、 袋詰めされるニワトリやアヒル他、 心痛める映像が放映されています。 勿論、人間にとっては食の危機、 経済的損失であるのは明らかですが、 この一匹、一羽の命のことは、 誰一人として 「哀れです」という言葉を言う人が居ません。 この動物たちの存在は単なる商品、 食べ物でしかないのでしょうか。 昔、私が小学校位の時、 夜店でヒヨコを数羽買ってもらい、 そのぬくもりと、真綿の様な黄色、 小さなかわいさが今でも思い出されます。 メスと言って買ってきました。 名前を付けて大事に育てました。 しかし大きく成長すると、 皆「コケコッコー」と鳴き出し、 流血騒ぎのけんかが始まってしまいました。 仕方なく、ある日、お店に ニワトリ達を引き取ってもらうため父に連れられ、 私は手の中に一番小さかった ニワトリを抱いて付いて行きました。 「このピーちゃんだけは、メスであって欲しい」と 心の中で祈りながら・・・・。 しかしいきなり店の人は 私から取り上げ「あー、これもオスです」と言い、 目の前で首をひねったのです。 バサーと道路に落ちて動かなくなったピーちゃん。 その時のショックは何十年経っても 私の心の中に深く刻み込まれてしまいました。 思い出すと今でもこみ上げてくるものがあります。 ワーワー大声で泣きながら 商店街を通って家に帰って来た 悲しい思い出がありました。 テレビで袋に「コッコッ」と鳴きながら 詰め込まれるニワトリを見ていると、 あの時のピーちゃんとオーバーラップしてしまうのです。 一番最初に鶏インフルエンザが発生した山口県。 処分まで何日間も、餌も与えられずカラの餌入れを つついているニワトリ達の顔が映りました。 「せめて最後、ひもじい思いをさせないで下さい」と 山口県庁に電話を入れました。 その夜大きな穴に沢山の袋詰めにされた ニワトリ達が埋められるニュースが流れました。 かわいい目をしたあのニワトリ達も今はあの袋の中。 あまりにも命を絶つことに慣れきってしまった人間に、 きっと神様からの何らかの忠告であるのでしょう。 |
五年前、保護していたシーズー犬が、
犬好きの夫婦に里子に出ました。 「シーちゃん」という名前をもらい、 特にご主人は大切にして下さいました。 しかし、飼い主の状況に変化が生じると、 必然的にシワ寄せは動物にふりかかってしまいます。 一年前にご主人が亡くなり、 今回奥様より電話が入り、 「引っ越すのでシーちゃんを飼えなくなった」と 言って来ました。 推定7歳、再度この子の里親探しを始めました。 そこに、理解ある家族が申し出て下さり、 見に行って下さることになりました。 しかし、その数日後 「今、帰って来たら(もう1匹昔から飼っていた) 犬にシーちゃんが咬まれています。 どうしたらいいのでしょう」と電話が入り、 「貴女の犬でしょう。 すぐに獣医さんに連れて行って下さい」と私は荒々しく言いました。 しかし、不幸にも夜中二時、 シーちゃんは息を引き取りました。 先住犬の「ジュン」という柴雑に 噛み殺されてしまったのです。 ご主人が亡くなってから一年間も散歩もさせず、 犬達の関係もおかしくなってしまったのでしょう。 入院させた獣医師に聞いてみると 「今までにも二~三回咬まれたという知らせが入りましたが、病院には連れて来ません。 シーちゃんの体には 十~二十と数えきれない程の古傷がありました。」と 話して下さいました。 かわいそうに何度も咬まれていたなんて・・・・・・。 助けた命がこんな形で終えてしまうなんて、 考えもしませんでした。 しかし、 これで終わったわけではありませんでした。 又電話がかかって来て、 「もう一匹の犬を引き取ってくれませんか。私は引越しますから。」どういう事なのでしょうか。 飼い主としての責任は何も無く、 後始末を他人にさせるのを何とも思わない人間。 私がお願いした犬でもない、 本人が飼っていた犬であり、 又、シーちゃんを噛み殺した犬を 何で私が引き取る義務があるのでしょうか。 私達の活動を、要らなくなった犬・猫を引き取ってもらえる「後始末業者」とでも思っているのでしょうか。 「子猫がいます。取りに来て下さい。 来てくれないなら保健所に出します。」 「犬がうろついているんですけど・・・」 「犬を拾ったんですが、家には置けないんですが・・・」 毎日こんな電話がリンリン。 世の中、人に迷惑をかけないで 生きる事ってむずかしいのでしょうか。 |
人生80年の時代にあって、
犬猫達の寿命も昔の二倍位に延長された今日、 愛犬愛猫の命が一日でも長く生きて欲しいと願うのが、 普通であると私も思っていました。 しかし、世の中長生きすればする程、不幸な最後が 待ち受けている犬猫が増えているのです。 誰でもが順番に必ずやって来る「老いる」という現実。 しかし、動物達は、 手を差しのべてやる飼い主の気持ちがなければ 「死」への道しか残されていません。 夜と昼が反対になって吠えてしまい 近所から苦情が来た、 家族が眠れなくて、受験勉強の子供も居るので・・他・・ こんな当然あり得る得る理由で 保健所に出してしまう飼い主。 この犬達が我が家にやって来た十数年前の事は 忘れてしまったのでしょうか。 首輪、犬小屋、フード、リード、ブラシ他買い込んで 「かわいいね」と家族で迎えた日があった事を。 七月、世田谷のセンターを訪ねていたとき、 赤帽さんの車にビーグルが乗せられ繋がれていました。 飼い主は事務所へ入って行き、しばらくして出て来て、 ビーグルのヒモを引っ張って係の人に渡しました。 このビーグル犬、二十才とのこと。 どんな理由があれ、 20年間飼い主を信じて生きて来た子を 炭酸ガスで処分してくれと 自ら連れてくる気持ちは 理解出来ませんし、許せません。 二十才にしては、四本の足を引きずりながらも歩いて、 連れて行かれました。 その後姿を飼い主は黙って見ていました。 「どうして来ないの」とでも言いたいように 一度振り返ったこの子は、 おとなしく奥へ消えてゆきました。 私も現在、介護の必要な老犬をかかえています。 チワワの「カメちゃん」、 12~13年前平塚の保護センターから引き取った 当時5~6才のチワワの女の子。 しかしこの子はてんかんでした。 里子に出す訳にはゆかず、 ずっと私の元で世話をして来ました。 しかし、現在てんかんの発作が出るたびに、 目に涙を浮かべ、 ぐーと体をのばし息を引き取ってしまいそうになります。 その時、心臓を手でマッサージしてやると、 「フー」と息を吹き返し、 何度も生と死を行ったり来たりの状態です。 しかしこの二週間位、 もう、右にバターン、左にバターンと転がって 必死に起き上がろうとしても又転がってしまう。 水も餌も手で支えて食べさせてあげないと 食べられない介護犬になってしまいました。 真っ白になった目、4kgあった体重も 1.4kgと細くなってしまいました。 でも、一生懸命生き続けようとがんばっている姿に、 私も一緒にがんばっています。 そんな介護をも放棄してしまう飼い主。 介護をして天国へ送ってあげるまでが、 本当の飼い主としての責任であり、 義務ではないでしょうか。 |
三月の初め、11年前に 里子に出した犬の里親さんから電話が入りました。 「実は三月末に引っ越すことになり、 犬を連れて行かれない。 どこか預かって下さるところがないでしょうか」と・・・ 期限が分かっていれば話もし易いが、 「犬が飼える住宅」に移るまでと、 はっきりとした期限がないのです。 茶色の中型・雑種・メス・11歳、名前は「ガンバ」。 そんな中、ある近所の方から 「困っている犬を引き取りたい」という この上もないお話が入りました。 飼い主のTさんと新里親のOさんとの話し合いの上、 ガンバは里子に再度出ることになったのです。 しかし、これが悲劇の始まりでした。 Oさんの家に行った六日目、 ガンバはちょっとした玄関の戸が開いたすきに 逃げてしまったのです。 警察、獣医さん、インターネット、張り紙、 ありとあらゆる方法で捜しました。 しかし、全く情報がありませんでした。 3月26日、横浜蓄犬センターに、 Tさん、Oさん、そして私、 三人がそれぞれ届けを出し、 毎日必ず電話を入れ、確認をしていました。 しかし、「いません」と同じ返事が返って来ます。 大雨の日、どこにどうしているのだろうか。 手離したTさんも、 バイクで何度もここ町田の成瀬台に来て捜しました。 しかし皆の心配な気持ちに反して、 10日目の4月2日、 「子供の国線にひかれた犬がいました」との 通報が入りました。 駅員に問うと、「3月24日の夜、 電車に飛び込んだ犬がいて死んだと思ったら、 次の日の朝生きていたので、 横浜蓄犬センターに収容してもらいました」とのこと。 「えっ!横浜蓄犬センター? 毎日電話を入れていた所なのに、 どういう事?!・・・」 4月3日、 Oさんが横浜蓄犬センターに電話を入れたところ、 「ひかれた犬ならいます。 しかし今から来るのでは。 5時までです。明日にして下さい」とのこと。 次の日、4月4日(土)朝まで、 ガンバは、ひかれて何の治療もしてもらえないまま、 食べることも出来ず、 激痛に耐え、11日間生きていたのです。 迎えに来てくれる事がわかったのか、 4日の朝、センターで息を引き取ったのです。 横浜蓄犬センターには写真も送って、 毎日電話も入れていたのに、 この職員(所長)の、仕事に対して、 犬に対しての熱意は全く無く、 謝罪の言葉すらありませんでした。 首輪が取れていたという落ち度があるにせよ、 この日(ガンバが運ばれた日)収容犬は、 たった4匹しかいませんでした。 3匹は飼い主が分かっている犬で、 1匹分からない犬がいるのなら、 「見に来て下さい」とどうして言わなかったのか。 「ガンバ」は、この横浜蓄犬センターのずさんな内情を、 身をもって私達に知らせてくれたのです。 路線を渡れば、 11年間住み慣れた懐かしい 家族のいる家に通じる道路でした。 「命ある限り」元の飼い主さんの所に 戻りたかった一念だったのでしょう。 硬くなってしまった身体になって帰って来たガンバ。 生きているようなお顔でした。 遺骨になってでも帰りたかった家族の元で、 今、ガンバは暮らしています。 安らかに。 |
1月12日、読売、毎日、神奈川の各紙に、
当会についての報道が掲載され、 その翌日から電話番の方が嬉しい悲鳴を上げるほどの 反響がありました。 びしょぬれの冷たいコンクリートの床の上で 死を待つたくさんの犬や猫。 安楽死とは程遠いガス室での悶死。 それ以上に残酷な実験用に 引き取られて行く犬、猫たち。 成猫はほとんどが実験用に(生体実験も含む)、 犬は実験で扱い易いために、 特に人なつこい子が選ばれます。 檻の中で震え、手をさしのべて助けを求める子、 猫の全てを救い出したいとどれほど思うことでしょう。 でも現実は、毎週50頭、60頭と 殺処分されるうちの数匹しか救うことが出来ません。 救い出した犬たちの殆どは ストレスによる下痢を起こしています。 それのみで無く、昨年引き出した犬の中の1匹が 収容中に悪性のパルボとジステンパーに感染しており、 それが40頭保護して下さっている方の犬たちに伝染、 9頭が死に、24頭が いまだに治療中という事態になりました。 医療費は膨大となり、もはや活動を 断念するしかないところに追い詰められました。 ちょうどその時、 地方紙を発刊しておられる方のご助言があり、 この会の活動と現状を各新聞に訴え、 それがいくつかの新聞の記事になり、 こうして皆様のお力にすがりつくことが出来ました。 一言の恨みも一言の怒りも発せずに 死に行く哀れな犬、猫を1匹でも多く 救い出すことが出来るよう、 どうぞ引き続き皆様の温かいご支援をお願い致します。 |